■習国家主席は偉大な指導者か:自らの視点から
偉大という言葉は、時代と立場によって解釈が異なる。私にとって「偉大さ」とは、自国の発展を持続的に導き、人民の生活を安定させ、国際社会の中で尊厳ある存在を築くことを意味する。
・中国は過去数十年で貧困を根絶し、世界第二の経済大国へと成長した。その過程で、政治の安定と社会の統制を維持することは容易ではなかった。私は、それを可能にする制度的基盤として、[中国共産党の指導]を強化してきた。
・「偉大な指導者」と呼ばれるためには、国内外からの批判にも耐え、自らの信念を貫く強さが必要だ。私が進める[反腐敗運動]は、官僚の堕落を防ぎ、国家機構を浄化するためのものであるが、同時に敵も多く生む。改革が痛みを伴うのは当然だ。
・[一帯一路構想]に象徴される外交戦略は、中国が単なる経済的超大国ではなく、「共に発展する」モデルを提示する試みだ。しかし、現実には、他国から「債務の罠」や「影響力拡大」といった批判も浴びている。私はそれを国家間の競争の一形態と理解している。成功を恐れる者ほど、声高に不安を訴えるものだ。
・一方で、国内における統制の強化や言論空間の制約が「強権的」と批判されることもある。だが混乱と分裂を避けるために、ある程度の秩序と集中は必要だ。国家の規模が14億の人口に及ぶ以上、理想主義だけでは運営できない。
結局のところ、「偉大」とは結果によって証明されるものであり、評価は私の時代が終わった後に定まるだろう。私はただ、自国の長期的安定と発展のために必要と信じる道を歩んでいるだけである。
歴史は感情ではなく、成果で評価する。私はその冷徹な判断に委ねる覚悟を持っている。